月別アーカイブ: 2011年4月

ウェブ×ソーシャル×アメリカ<全球時代>の構想力  池田純一


非常に不思議な本。ごく簡単にいえば、インターネット、ウェブサイト、ソーシャルメディアというものが、なぜ常にアメリカという国で生まれ、全世界に拡散していくのかという理由を、おもに社会学的見地から解き明かしている。ただし、この論証を行うにあたり、科学技術、歴史、政治、経済、文化など、様々な分野から論点にメスを入れているから、なかなか読み応えがある。

こうしたデジタルのメディアは、様々なデメリットも指摘されるが、情報をより速く、安く、正確に伝達できる点でアナログのメディアを凌ぐことが多いので、今後も市場原理に従って、世の中を席巻していく勢いは止まることはないだろう。

そして、こうしたデジタル・メディアは、社会の形式的な組織や仕組みを超えて、純粋な市場原理に従って希少な情報を流通させていく特質も持っているから、世の中をどんどん自由競争的なフラットな社会に組み替えていく特徴も持っている。

アメリカという国は、もともと独立の動機からして、古いヨーロッパの権威主義的、形式主義的な束縛から解き放たれたいという熱い思いから、政治も経済も徹底的に自由にすることを標榜し、今日にいたるまで民主主義と資本主義の先頭を切ってきた。こういう国から、次々とデジタルメディアが生まれるのは必然だというのが、本書の論点の一つかもしれない。

いま、こうしたデジタル・メディアは、中東の独裁国家を次々と揺さぶっている。こうしたインターネット技術を通して独裁国家が崩壊する可能性については、もともと独裁国家ソ連の出身で、グーグルの創始者であるサーゲイ・ブリンやラリー・ペイジもかなり早くから予見していた。

東西冷戦における東側諸国は、市場(おカネ)の力で次々と西側の体制に切り替わっていったが、いまやテクノロジーの力で、旧態依然とした独裁国家が次々と倒れている。

こうした動きは、自由を渇望する人間の根源的な本能に根ざした動きだから、簡単には止まらないだろう。いままで、インターネットは世の中を変えたとか、何となく言われてきたが、本当にひとつの国の体制までひっくり返してしまうほどの時代に突入した。

本書を読んで、その影響力の大きさに思いを馳せた。非常に視野の広い本で、いろいろなことを考えさせられます。

 

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キュレーションの時代   佐々木俊尚

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
筑摩書房
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キュレーションの派生語であるキュレーターというのは、博物館や美術館の学芸員のこと。キュレーターは、素人にはうまく理解できない展示物の意義や背景を、訪問者に分かりやすく説明し、理解させる役割を担っている。

本書は、このキュレーターのように、ネット上の膨大な情報の海の中で、価値の高い情報だけを拾い出し、分かりやすくユーザーに説明する「キュレーション」の意義が、かつてなく高まっていると説く。

つい最近まで、ネットで情報を得るには単に検索すればよかったが、ネットで商売をしている利害関係者の一部(大半?)がSEO(検索エンジン最適化)の技術を逆手にとって悪用し、価値の低い情報を上位表示させることに一定の成功をおさめたため、普通に検索しているだけでは価値の高い情報を得ることが難しくなっている。

また、もともと情報の洪水のようなネットの世界で、自分が求める情報を探し出すことは難しいこともあり、たしかにキュレーションの役割が大事になってきているのかもしれない。そういうキュレーション専門のサイトも、たしかに最近徐々に増えてきている。

ネット上の情報の流通の仕方は、単に量的な拡大だけでなく、質的拡大という特徴も現している。たとえば、ネット創生期には、情報は普通のコンテンツの形式をとって流通していたが、10年くらい前からブログやメルマガによる流通経路が隆盛を見せ、最近ではフェイスブックやツイッターのようなソーシャルメディアでの流通頻度が増えている。

この現状は、情報の消費者にとっては、ますますキュレーションを必要としていることになるし、情報の生産者(業者など)にとっては、いつどこに情報を流せばお客さんを捕まえられるか分からないという困惑を生んでいる。

そういう意味で、キュレーションの意義がますます高まっていることは事実だと思うが、キュレーションする人や企業の側にも能力の差があったり、特定の利害関係を背負っていることもあるわけで、どこまでキュレーションが社会的認知を受けられるかは現時点では未知数という感じ。

それでも、現在のネットの方向性を具体的に分かりやすく「キュレーション」した本書は必読の価値があると感じました。

 

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英仏百年戦争  佐藤賢一

英仏百年戦争 (集英社新書)
佐藤 賢一
集英社
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日本という国は、民族の境界線と、国家の境界線(国境)がほぼ一致しており、しかもその状態が有史以来ずっと固定したままの非常に稀な国である。たしかに、先の大戦では朝鮮半島から中国の一部、モンゴル、東南アジアの一部までも軍事占領していたが、その広い版図を日本の領土と認めた他国は少なかったし、その期間は短期間で終わった。

しかし、世界を見渡すと、民族の境界線と国家の境界線が一致していないケースの場合のほうが多数派で、しかもその境界線は互いに流動的に変化している場合のほうが多い。

だから、本書で語られている事実は、世界の多数派の人々にとっては当たり前のことで、日本以外の国で本書が語っているポイントがネタになることもなかったように思う。しかし、多くの日本人にとって、本書で語られているポイントは、驚愕の事実以外の何物でもない。

英仏百年戦争というのは、世界史の授業では、読んで字のごとく、「イギリスとフランスが14-15世紀の百年近くにわたって戦った戦争」として教えられている。

しかし事実は、「イギリスを占領していたフランス王家と、フランスにあった別のフランス王家が戦ったフランスの王家間の戦争」であり、本書はその内実を丁寧に、かつ非常に読みやすく解き明かしている。

この背景を理解するには、11世紀に成立したノルマン朝は、現在のイギリスの領土をフランスの王家が軍事占領して打ち立てた王朝だという英仏関係の起点を押さえておく必要がある。

そして、その後のイギリス政府の公用語もしばらくの間はフランス語だったことなど、基本的にフランスがイギリスを数百年にわたって仕切っていた事実を押さえておく必要がある。

ちなみに、本書の論点と直接関係ないが、イギリス王家の先祖を今から約300年ほどさかのぼり、現在のエリザベス女王の先祖をたどると、ドイツ人の王様に行き着く。彼は英語をしゃべれないまま、今のドイツの地からイギリスへ渡り、イギリス王に就いた。

こういうことは、いまのアフリカの地域紛争などでは、頻繁に起きているようだ。だから、こういう話を頭を混乱させずに理解できる柔軟な頭脳が、現代の様々な国際紛争の背景を理解する上でも大切だ感じました。

 

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