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最新の資産防衛術は聖書に隠されていた  松島修

 

最新の資産防衛術は聖書に隠されていた
松島 修
扶桑社
売り上げランキング: 29283

 

本書は、聖書の教えに立脚した本である。ただ、「聖書」と言うと、かえって敬遠する人もいるだろう。私は日本人だから、仏教徒だから、と身を引く人もいるだろう。

しかし、聖書は世界最大のベストセラーにして、世界最長のロングセラー。世界の政治経済を仕切っているユダヤ人、欧米人には、聖書に精通し、聖書を信じている人も多い。日本にとって特殊な本でも、世界的に見れば、聖書は普遍的な知恵の書でもある。

本書の筆者は、生き馬の目を抜くFXの世界で30年以上成功を収め、なおかつファイナンシャルプランナーで最高位の資格を持つ実力者である。経済評論家とかではなく、投資業を長年継続的に成功させてきている実務家である。

本書の要旨は、聖書に基づいて投資を行なえば、的を外さないというポイントを基盤にして、そこから、どのような投資物件にどう投資すべきか、巷にあふれる怪しい話をどう見抜くか、お金の罠にかからないためにはどうすればよいかといった具体的な話を展開し、最終的には、聖書に基づいて人生を生きれば、人生の的を外さないという深遠な話に触れている。

聖書に親しみのない人から見れば、意外なことかもしれないが、聖書の中心は愛である。それは、具体的に言えば、創造主である神は、人(つまり自分)を心の底から愛していることを知ることで、その神の愛に立脚して、他の人をも愛して生きる必要があるということである。

このような聖書に沿ったマインドセットが「成功」の秘訣だと、本書は説く。逆に、自分が嫌いで、自分から目を逸らし、自分から逃れる動機で仕事をしたり、他人を出し抜く動機で仕事をすれば、おのずと「失敗」に導かれるという。その意味でも、聖書を知る必要があると本書は説く・・・。

 

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王様マインドと奴隷マインド   松島修

王様マインドと奴隷マインド
松島 修
サンマーク出版
売り上げランキング: 4005


なかなか巧いタイトルである。人は誰しも王様になりたいし、奴隷にはなりたくない。しかし、本書を読み進むうちに、実は自分が「奴隷」だったということに気付かされる。そして、「王様」という理想も、自分が考えていたものとは、かなり違っていたことに気付かされる。

たとえば、自分が「王様のような偉大で立派な人間になりたい」、「人から高い評価を得たい」、「世間から注目を浴びたい」という、他人からの評価、自分が思い描く(スケールの小さい)理想に支配されている考え方は、「奴隷」の思考回路だと、本書は一刀両断している。

王様とは、現在の実際の自分を受け入れ、同時に他人の幸福のために自分を捨てることができ、さらに自分に与えられた使命に邁進する心を持っている人だと、本書は説く。そして、この考え方は聖書から導かれていて、「王様」とは、次の3点を確信していることが特徴だという。

1.自分は神様から愛されている。
2.自分は神様によって、神様に似せられて創造された最高傑作の存在である。
3.自分は神様から、独自の使命を信託されている。

そして、この3点は、自分で努力して獲得するものではなく、すでに確定している事実なので、その事実を自分の中で確信できるかどうかが鍵になるというのが本書の要点だ。

はっきり言えば、聖書を自分のものとして受け入れ、信じている人は、このことを知っている。しかし、多くのクリスチャンも常に自戒、警戒していることだが、危険なワナは、この思いから高慢に移行してしまうことだ。

本書も、はっきり言っていることだが、「王様」の特質は、自分よりも国民(他人)のことを優先する思考回路にある、さらに突っ込んでいえば、本書はおそらく意図的に次回のテーマに回したポイントだと思うが、聖書の中心はイエス・キリストである。イエスは、全ての人の「罪(sin)」のために、あえて十字架にかかって死んだ。神の子、王だったにも関わらず、自分の全てを捨てたということである。

この「自分が神から愛されているという充足感」と、「他人のために自分をいつでも捨てられるという究極の謙遜」が同居しているところに、本書のいう「王様マインド」が存在するのだと思う。非常に読み応えのある奥の深い本である。

 

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聖書に隠された性格分析 ケルビム・パターン  松島修

聖書に隠された性格分析 ケルビム・パターン
松島 修
マガジンハウス
売り上げランキング: 6717


聖書には、ケルビムという戦闘系の天使が登場する。そして、この天使は、獅子、雄牛、人、鷲という4つの資質的な側面を持っており、この4つの側面はそのまま、人の性格の類型パターンと一致しているというのが、本書の出だし部分。ここで、読む人は自分がどのパターンに当てはまるのか知りたくなり、ぐっと引き込まれる。

そして、人は誰でもこれらの類型の1つ、もしくは2つの性質を色濃く持っており、その特徴を自覚し、長所を伸ばし、短所をカバーすることによって、より幸せに生きることができるというのが、本書の核心部分。

本書が面白いのは、聖書の一部を取り出して、自分なりにアレンジしているのではなく、聖書全体の趣旨を押さえた上で、人間の性格に関する論点を抽出して論じているところ。冒頭にも、これは占いのたぐいではないということが、はっきり書かれている。つまり、本書は聖書を利用した性格分析の本ではない。聖書が、人間の性格について何を語っているか解説した本である。

人間は、自分の長所と短所を正確に把握し、長所を伸ばすだけでなく、短所にも対処していかないと、人生が生きづらくなっていく。それは、人間関係の問題を通して、私たちの日常生活に大きな影響を与え、私たちの心理状態に大きな影響を与え、私たちの人生さえも大きく変えていく。では、どうすればよいか。本書は、そんな疑問に応えてくれる。希望を与えてくれる良い本です。
 

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聖書に隠された成功法則  松島修

聖書に隠された成功法則
松島 修
サンマーク出版
売り上げランキング: 6853


筆者はFX界の第一人者。自身も大変な「成功」者である。題名がちょっと怪しい感じがしたが、実際に読んでみたら凄い本だった。

人生を成功させるには、自己実現を目指しても成功できないという。なぜなら、人は全知全能の存在ではないから、最初から目標設定を誤ってしまうからとのこと。そして、たとえ成功できたとしても、それは長続きせず、また当初予想していた充足感も得られず、失望に終わることが多いという。なかなか説得力がある。

人生を成功させるためには、自己実現ではなく、「神」実現を目指すべきだという。神は、全知全能の存在であり、私たち一人ひとりをそれぞれ目的を持って創造された。だから、神が自分に通して達成しようとしている目的を、神に尋ね求めながら、神の目的を実現することが、自分に最高の「成功」を与えるという。

また、人生最大の罠は、傲慢になることだという。どんなに大きな成功を収めた人も、傲慢になった瞬間に転落するという。世の成功者の盛衰を考えても、たいへん説得力がある。

 

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ボーン・アゲイン  チャールズ・コルソン

ボーン・アゲイン―ウォーターゲート後日物語 (1979年)
チャールズ・W.コルソン
いのちのことば社
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Born Again
Born Again

posted with amazlet at 10.12.11
Charles W. Colson
Chosen Books Pub Co
売り上げランキング: 307695


本書は、もともと「ボーン・アゲイン ウォーターゲート後日物語」(いのちのことば社)という邦訳がありましたが、今は絶版になっているため、ネット上で中古のものが取引されている状態のようです。言うまでもなく、原書の方はいまでも広く流通しています。

ボーン・アゲイン(born again)とは、聖書に書かれた通りのイエス・キリストによる新生(生まれ変わりの)体験のことで、とくに形式的なキリスト信仰が蔓延している欧米社会では、よく使われる言葉です。欧米では、なんとなくイエス・キリストを信じている人が多いのですが、聖書に書かれている通りのキリストの罪の赦しを体験的に知った人は相対的に少なく、その意味でも、このことを体験的に知り、深くキリストを信じている人を、あえてボーン・アゲイン・クリスチャンと呼ぶことがあります。

ちなみに、この新生体験は神秘体験のようなものではなく、聖書に書かれているイエス・キリストの死と復活の本当の意味を、理性を通して真理であると把握する「神との邂逅」のような体験であると言ってもよいかもしれません。

さて、本書の著者であるチャールズ(チャック)・コルソン(Charles “Chuck” Colson)氏ですが、私は学生時代にウォーターゲート事件のレポートを書いていて、世の中にはこんなに悪い人間がいるのかと驚かされたのが、この人との初めての「出会い」でした。

ニクソン大統領の顧問として、米国の民主主義の根幹を揺るがせたウォーターゲート事件の裏工作の多くを考案・推進し、多くの関係者の政治生命を絶った人物として、当時は悪のシンボルのように扱われていた人であり、私もリサーチを進めるにつれ、この人の悪徳ぶりに気分が悪くなるほどでした。

しかし、それから時が経ち、この人が劇的な体験を通して救われ、ボーンアゲイン・クリスチャンとなり、牧師となったことを聞き、二度驚いて、数年前に本書を読んでみました。

とくに印象的なのは第8章に出てくる友人との語らいの場面です。ここでは、コルソン氏が、自分の本当の姿に目を見開かれ、愕然とし、号泣する場面が出てきます。ここは、読む側も、自分も決して善人ではないということを悟らされ、涙なしには読めない箇所でもあります。また、人間の本質に関わる深い内容も扱われていて、一度読むと忘れられない箇所でもあります。

いまコルソン氏は、牧師として政治に関してコメントすることもあり、私は個人的にその多くに賛同できませんが、本書の8章に関しては、ここを読むだけでも本代を払う価値があると感じています。今でも、ときどきここだけは読み返すことがあります。

 

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